井上円了の教育理念

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- んも、そんな議論めいたことばかりいっていないで、なんでも金をつくりなさい。これは するための教訓としたというのである。
ほんの寸志だ」といって、百円を寄付してくれた。井上円了はこれに感激し、以後事業を
『勝海舟日記』によれば、明治二十二年九月四日が二人のはじめての出会いである。す
なわち、校舎完成の間際である。以後、日記には井上円了の名前がひんぱんに記され、 「哲
学館へ百円寄付」 「古仏像金子十五円寄付」などとも書かれている。井上円了は勝海舟を
尊敬し、講演などではよく彼のことを話したという。そして、勝海舟の「書」を寄付者へ て協力を惜しまなかったという。
お礼として贈り、勝海舟は哲学館の教育事業の足しになるならと、自ら「筆奉公」と称し
校舎建築は順調に進んでいたが、九月十一日に多数の死者を出すほどの大型台風が襲来
し、完成目前の校舎は倒壊してしまった。このとき井上円了は、仏教公認運動のため京都
の仏教教団を歴訪して遊説していたが、 電報で知らせを受けると、 すぐに東京へ向かった。
途中、東海道線が不通となっていたので、四日市から横浜まで船を使った。そして、九月
二十日からすぐ再建にとりかかり、十月三十一日に完成、翌日から新校舎での授業がはじ
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