井上円了の教育理念

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- を中心とした学校とに分けられ、前者はさらに①法学・経済などの社会科学系、②英学な
ど語学中心の人文科学系、③医学・物理学などの自然科学系に分類できる。このことから は哲学館は極めてユニークな学校であった。
もわかるように、哲学という分野を専門とする学校はこのいずれにも入らず、その意味で
哲学館の開館式
哲学館は、はじめは独立した校舎を持たず、東京大学の近くの本郷区龍岡町(現在の文京 明治二十年九月十六日、この寺の境内で行われた。
区湯島)に あ る 臨 済 宗 妙 心 寺 派 麟 祥 院 と い う 寺 の 一 室 を 借 り て 教 室 と し て い た。 開 館 式 は
式は午後一時ごろからはじまり、来賓および生徒一同を前に、まず館主井上円了が開館
の趣旨を述べ、 ついで帝国大学文科大学長外山正一が「哲学の普及」という祝辞を呈した。
さらに棚橋一郎が「哲学の要」 、 辰 巳 小 次 郎 が「 哲 学 の 世 間 に 及 ぼ す 効 用 」 と 題 し て 演 説 京日日新聞』や『郵便報知新聞』などで報道された。
をした。 来賓は帝国大学の学士と仏教各宗の学僧が多かったという。 式の模様は当時の 『東
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