井上円了の教育理念

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- こうしていくつかの専門学校が設立された。これらのうち開成学校と東京医学校とは明
治十年に統合され、日本最初の大学である「東京大学」が誕生した。これは開成学校の総
理だった加藤弘之の提案によるもので、文学部、理学部、法学部、医学部からなっていた
ものの、授業は依然として外国語で行われていたため、実質的には学制で示された大学と
は異なっていた。そして、東京大学で学ぶためには、まず「予備門」において四年間語学
を学ばなければならず、結局大学卒業までには八年もかかるという状態であった。
この予備門から大学へという基本的な形は、哲学館創立のころにもまったく変わってお
らず、 依然として大学で学ぶのは非常にむずかしいことだった。井上円了の「余資なき者、 れない人々であったといえる。
優暇なき者」とは、いわば学習意欲を持ちながら、経済その他の条件で、このコースに乗
官学中心主義
東京大学文学部には当初、第一科として史学、哲学および政治学科、第二科として和漢
文学科が設置されていた。まもなく学科の分化独立が進められ、哲学科は井上円了の入学
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