井上円了の教育理念

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- 寺田福寿は真宗大谷派の僧侶で、本願寺の東京留学生として慶応義塾に学び、難解な仏教
を大衆にいかに理解させるかを研究し、宗派を超えた活動を行っていた。駒込の真浄寺の
住職だったが、ことあるごとに哲学館のために寺を開放して、協力を惜しまなかった。井 と呼んだ。
上円了は、 のちに出会って大きな援助を受けた勝海舟を含めて、 彼らを「哲学館の三恩人」
高等教育のはじまり
「哲学館開設ノ旨趣」において、 井上円了が哲学館の教育対象としたのは、「余資なき者、
優暇なき者」と表現されているように、大学へ行ったり外国語を学んだりする余裕のない ならない。
人々であった。この意味を理解するためには、当時の高等教育制度について触れなければ
日本の近代教育は明治維新からはじまるが、それ以前にも一般民衆の中には教育に対し
て関心を持っている人も多く、寺子屋、家塾、私塾などで盛んに教育が行われていた。し
かし、これらは歴史の中で自然に発達したもので、もちろん義務教育ではなかった。ヨー
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