井上円了の教育理念

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- 百年後の今日では、 創立時の経過を明らかにする資料はほとんど残っていない。しかし、
当時の関係者の発言や断片的記録を総合してみると、哲学館の創立には、井上円了を中心
に二つのグループが関係していたことがわかる。一つはすでに述べたように哲学会のメン
バーを含む東京大学の出身者たちであり、 もう一つは東本願寺の国内留学生たちであった。
東本願寺は、井上円了を留学させた後も清沢満之や柳祐信ら四、五名の学生を国内留学
させたが、その際「すべてのことは井上円了を手本とし、相談せよ」と命じていた。資料
によれば、井上円了を中心とする彼らは学生時代から新しい宗教関係の学校を設立する希
望を持っていたらしく、それが哲学館という形で具体化されたともいわれている。
井上円了の哲学館設立の構想はこの二つのグループの協力を得て実現されたのである。
Ⅰ 教育理念の形成過程
開設ノ旨趣
井上円了は哲学書院の設立や政教社の結成を進めながら、協力者たちとともに、構想を
より明確な形に整えていった。そして、 明治二十年六月に発表された「哲学館開設ノ旨趣」
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と題する趣意書によって、哲学館は世に姿を現した。その内容は、まず哲学の意味と重要
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