井上円了の教育理念

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- 日本社会の改良
明治十九年の春、井上円了は病気療養中の熱海で哲学館設立の計画を練っているが、こ ておこう。
こでは哲学館設立にも影響を与えた当時の社会状況と井上円了らの思想運動について触れ
この年の秋、彼は哲学会の同志である棚橋一郎と相談して、哲学書などを中心にした出
版社の設立を計画した。これが明治二十年一月にできた哲学書院で、 『哲学会雑誌』は二 の出版物が世に送り出されていった。
Ⅰ 教育理念の形成過程
月にここから創刊されたのである。以後、十三年にわたって、彼の著作はもとより、多く
しかし、哲学書院は単なる出版社というだけにとどまらなかった。 『東洋大学八十年史』
には「哲学書院が他面において、同志の良き集会場となり、井上円了が関係したあらゆる
文化事業や、思想運動の策源地になった」とある。すなわち、ここで彼のさまざまな活動 成は大きな意味を持っていた。
が結合していったのである。なかでも明治二十年代の思想界をリードした「政教社」の結
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