井上円了の教育理念

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- すので……」
官僚への道を断った彼には、もう一つ、本願寺に戻らなければならないという道があっ
た。彼の在学中の保証人であった南条文雄は、東本願寺執事渥美契縁を訪ねて、井上円了
が仏教各宗中はじめての学士であることを考慮して、本願寺として優遇措置を講ずるよう
に要請した。教団は彼に教師教校の教授を命じるが、彼は、近代化が遅れ勢力が衰退して
いる仏教の力を回復するには、俗人となって活動するほうが有効なこと、また学校設立の
意志があることを理由に、命令を固辞した。教団との交渉は再三再四にわたり、とりあえ
ず「印度哲学取調掛」に任命されているが、彼の意志は堅く、変わることがなかった。や 活動することを認めた。
がて彼が哲学館を創立するに至って、本願寺はようやく彼の意図を理解し、民間人として
この二つの道を断ったときの理由からも明らかなように、井上円了は卒業以前からすで う大きな目的があったことはいうまでもない。
に、教育事業に携わるという将来の方向を定めていた。むろん、そこには哲学の普及とい
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