井上円了の教育理念

- ページ: 23
- 教育事業を目指して
(二十七歳) 井上円了は明治十八年 に、東京大学を卒業し、文学士となった。卒業論文は中
国の哲学者を扱った『読荀子』であった。卒業後しばらくの間は、明治五年に中村正直が
設立し、 福沢諭吉の慶応義塾と並び称されていた同人社や成立学舎などで教員をつとめた。
当時の東京大学卒業生の進路をみると、文学部では大学の教官か行政官僚になるのが通
常のコースだったようである。これは文部省が東京大学を国家の大学として、官僚養成機
関という位置づけをしていたためである。当然、井上円了にも同じ道が用意されていた。
彼に漢学を教えた石黒忠悳は、このとき陸軍軍医監となっていたが、彼の就職に関して森
Ⅰ 教育理念の形成過程
有礼文部大臣に、文部省へ抜擢採用してほしいと話した。森はすぐに承諾して採用しよう
としたが、彼はつぎのようにいって、これを断っている。
「おぼしめしは誠にありがたいのですが、もとより私は本願寺の宗費生として大学に行
ったのですから、官途に就くのは忍びないことです。それに私は日ごろの誓願として、将
19
来は宗教的教育的事業に従事して、大いに世道人心のために尽瘁してみたいと思っていま
- ▲TOP