井上円了の教育理念

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- る社会へと転換していたのである。
東洋大学も明治二十年の哲学館の創設、戦後の総合大学化、この過程を二つの時代と考
えれば、第三期にあたる現代は伝統を堅持しながらも創造による脱皮という高度な展開が いう長い行程に入ったことを意味している。
必要であった。日本社会と同様に、モデルのない時代にそれを実現しなければならないと
昭和五十年代に入ると、東洋大学の次代の大学像を求める検討と運動が見られた。それ
は二つの課題であった。第一はキャンパスの整備・拡充の問題である。第二は国際化、情
報化などの将来にわたる教育の体制と理念の形成であった。
このようにさまざまな活動があったが、それらの底流にあったのが井上円了に関する総
合研究であった。創立者の思想と行動と明治の時代との関係が再研究され、歴史と現代と
いう両面から検討された。時代を切り開いた創立者が求めたことは、人間意識の変革であ
った。個人の「ものの見方・考え方」の変革を教育によってなしとげ、日本人による学問
の創出と、新しい社会の創造であった。こうして新たな創立者の見方の基礎が明らかにさ
れ、それが「井上円了の教育理念」としてまとめられたのである。
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