井上円了の教育理念

- ページ: 192
- として生まれ変わったが、総合大学としての発展は戦災で失った校舎の建築と新たな教育
の創設という二重の大きな課題を背負って行われた。その第一歩は翌二十五年の経済学部 法学部、三十四年に社会学部が設置された。
と短期大学部二部の新設からはじまった。これに続いて、二十七年に大学院、三十一年に
これらは旧制大学時代の学科などを発展させた学部で、これによって東洋大学は文学系
に加えて社会科学系の学部をもつまでに至った。しかし、総合大学となるには「復興寄附
金募集」に関する文書に記されていたように、校舎や教育設備などに多額の資金が必要で
ある理科系の学部を新設しなければならなかった。昭和三十六年、政財界の大きな支援を 足から数えて十二年目のことであった。
受けて念願の工学部が設置され、東洋大学は真の意味での総合大学となった。新制大学発
さらに、昭和三十九年に通信教育部、四十一年に経営学部と短期大学が設置され、戦後
の発展という一時代を形成した。 新制大学移行時には三百四十五人の卒業生であったのが、 立されたのである。
昭和五十年には五千人以上と十五倍となり、多くの分野で学生を教育する新しい体制が確
188
- ▲TOP