井上円了の教育理念

- ページ: 190
- 造校舎はすべて焼失し、図書館、講堂、三号館の鉄筋コンクリートの校舎も被災した。戦 争による被害は甚大であった。
戦前の日本社会の崩壊は政治・経済から、人々の生き方の根源であった文化や価値観に
まで及んだ。その中で、大学を再生しなければならなかった。しかも、再生は社会の崩壊 の誕生」でなければならなかった。
を前提にしていたので、たんに戦前の旧制東洋大学の再現を意味せず、 「再出発に向けて
(昭和二十四年四月) 戦後の大学の再建と発展を訴えた「東洋大学復興寄附金募集に就て」
という文書に、新制大学となった東洋大学の目指すべき方向がこう記されている。
「井上円了博士は東西文化を融合した東洋独自の新しい『学』を樹立することを理想と
して哲学館を創立された。以来、東洋大学は六十有余年にわたって、わが国の教育界、宗
教界、操觚界(著述家・雑誌新聞記者など)に多くの人材を送り、文化の発展に寄与してきたが、 したにすぎない。 」
新しき『東洋の学』の道は遠くかつ高く、井上円了博士の理想は未だその第一基底に到達
このように、これまでの歴史では井上円了の理想の域に完全には達していないとして、
186
- ▲TOP