井上円了の教育理念

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- 潮が強く、国民の意識にも「大学は国立」という考えが定着していた。これに対して法的
には官学中心の大学政策は改善され、私学の自主独立が明確にされた。私立学校法(昭和
二十四年)は「私立学校の特性にかんがみ、その自主性を重んじ、公共性を高めることによ
(第一条)ことを目的として設けられた。 って、私立学校の健全な発達を図る」
このような一連の教育改革がほぼ達成された昭和三十年の大学・短大への進学率は約十
%となり、以後順調に増加して、五十年には三十七・八%となった。また、戦後の国公立
と私立の大学生数の変化は図3のようになっていて、 私立大学生の増加ぶりはめざましく、
現在では大学生の四人に三人は私立大学に学んでいることになる。特に四十年代の高度経
Ⅳ 新しい教育理念を求めて
済成長期には急激な増加がみられ、国民の高等教育への進学志向が高まったことがよくわ 張と充実をはかった。
かるが、この傾向を受けて、私立大学は定員枠を増やしたり新学部を設置したりして、拡
東洋大学の発展
東洋大学は、昭和二十年の四月と五月にB 29
の空襲などによって大きな被害を受け、木
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