井上円了の教育理念

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- じめたが、これも時代の流れに沿ったものであった。彼は明治七年さらに英語を学ぶため
に、新潟学校第一分校(旧長岡洋学校)に入学した。この学校は、維新で敗れた長岡藩が藩
の立て直しのため教育に力を入れるという方針で設立したものであった。ここで彼はヤソ
教すなわちキリスト教を知り、 『バイブル』を英語訳と中国語訳を対照しながら読んだと の求めるものは見つからなかった。
いう。しかし、文明の宗教として脚光を浴びていたキリスト教ではあったが、そこにも彼
真理は哲学にあり
ところで、京都にある東本願寺(真宗大谷派)は教団の次代を担う人材を養成する機関と
Ⅰ 教育理念の形成過程
して教師教校を設置していたが、洋学校を卒業した井上円了は県知事の推薦によって英語
のできる学生としてそこへ進むことになった。彼が教師教校に入った明治十年に東京大学
が設立され、東本願寺はすぐに彼に国内留学生として東京大学入学を命じた。まもなく彼
は上京し、翌年九月に東京大学予備門に入学した。当時の東京大学では英語で授業が行わ
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れていたため、まず予備門において英語を三年間学び、マスターしなければならなかった
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