井上円了の教育理念

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- 井上円了はここで儒教の基礎を学んだが、同時に西洋世界との最初の触れ合いを自然にも つことができた。
井上円了が生まれた安政五年(一八五八年)には日米通商条約が結ばれた。これはその五
年前に黒船でやってきたアメリカのペリーが突き付けた開国要求に応じたものだが、これ
をきっかけとして日本国内では徳川幕府を存続させようとする佐幕派と、幕府を倒して天
皇を中心に据えた新しい政治権力の樹立を目指す勤王派との対立が激化し、内乱へと発展
し、ついに明治維新を迎えることになった。井上円了は、慶応四年(一八六八年)彼が十歳
のとき北越戊辰戦争が起こり、生地である長岡藩が新政府軍に倒され、占領されるという
形で維新を体験したが、このように旧体制が打破されて新体制が誕生する歴史の転換期を
目の当たりにして、かなり強烈な印象を受けたであろう。明治維新後、日本の目は西欧先
進諸国に向けられ、文明開化の名のもとに西洋の文化・学問・宗教などがつぎつぎに輸入 い価値を追い求める方向へと動いていったのである。
された。時代の精神は日本在来の思想を古いものとして否定し、西洋から入ってくる新し
井上円了は、漢学を修めたのち、十五歳から新しい学問である洋学、特に英語を学びは
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