井上円了の教育理念

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- んでいた。大学に昇格したとはいえ、東洋大学は財政的な緊急課題に直面しており、これ
を解決しなければならなかった。昭和十二年予算ではおよそ学生数を八百七十人と予想し
ていたが、実際には三百七十七人と六割も下回り、結局大幅な収入減という深刻な状態に
陥った。この事態の改善に対しては、学生募集の中止などによって大学の規模を縮小して
対応しようという消極的な考えと、逆に現状よりもさらに発展を志向する積極的な考えが
あり、賛否両論にわかれたものの、最終的には、財力があり経営手腕の高い人物であった 持する思想とが共通なもの」と強調された。
Ⅳ 新しい教育理念を求めて
大倉邦彦を、第十代学長として学外から招聘した。就任要請では「建学の精神と大倉の堅
大倉は就任後間もなく「学園振起案」を作成し、大学改革に着手した。この案の趣旨は つぎのところに力点を置いていた。
(哲学館創立以来五十年間) 「 一般学界思想界の風潮は、ますます西洋近世の学術にならい、愛
理の一面のみを偏重して、 護国の精神に至ってははなはだしく欠然する憾みがあった。 ……
近来ようやくその弊に醒め、諸般の情勢は著しく転換して、ここに新しく東西文化の特徴
を渾然融和して、日本独特の学風を振起すべき時代は、到来したのである。学界思想界に
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