井上円了の教育理念

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- いて社会において最も神聖なるべき学府が、ややもすれば俗世間の小照となるを免れぬ傾
向がある。官僚臭味、党派根性、成金迎合、学校政略などが看板の美、口上の合理性のも
とに行われることとなる。しかるに過去のこの学校には僕の感ずる限り、比較的にこの種
の嫌がなかった。これ比較的に待遇のよくなかったにもかかわらず、気持ちよくのびのび では消えてしまうのである。
と僕が勤めていられたゆえんである」このような質実で自由な雰囲気は、国家統制のもと
昭和六年の満州事変、七年の上海事変を境に、日本は軍事的拡大政策を強化した。教育
も「国家の非常時態勢」の名のもとに統制が強化され、 文部省には昭和三年十月に学生課、
Ⅳ 新しい教育理念を求めて
昭和九年六月に思想局が設置された。また、国民精神文化研究所や教学刷新評議会が設け
られ、昭和十年の「国体明徴」 「国民精神作興」など国家の手による思想運動が展開され、 ながっていったのである。
昭和十四年には「大学で軍事教練を必修とする」など、やがて太平洋戦争下の統制へとつ
東洋大学もこのような思想統制の流れに飲み込まれた。昭和八年の『東洋大学一覧』と
いう規程集には「護国愛理」という言葉が東洋大学の教育精神として掲げられている。そ
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