井上円了の教育理念

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- 昭和二年から第二次昇格運動に取り組み、募金の規模を供託金のみにしぼった。このとき
は財界からの援助も受けて、 昭和三年三月に大学令による大学として認可された。しかし、
この昇格の必要条件として、学制の改革をはじめ、大学本館、図書館、講堂などの建設が
義務づけられていたので、その後に大きな問題が残された。
教育上私立学校に対する卑見
井上円了は大学令の内容が相変わらず官学中心主義に貫かれていることに憤りを覚え、
(大正八年二月三日付)に「教育上私立学校に対する卑見」と題する一文を寄せた。 『朝日新聞』
ここで彼は官学中心主義の大学政策を「官主主義」という言葉で批判している。
「近頃世界大戦の結果として民主主義なる語が流行してきて、ドイツの軍国主義が破れ
たから世界は民主主義に一変するがごとく論ずるものがある。しかるに余は民主主義なる
語を了解するに苦しんでいる。 余は近頃唱うる民主主義は官民相対の語と解しておきたい、
すなわち民主主義の相対は官主主義であるとみる方が穏当と思う。……従来わが国のとり
たる方針が宗教を除くのほかはすべて官主主義とみてよい。とりわけ教育などは官主主義
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