井上円了の教育理念

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- 供託であった。供託金は一校五十万円で、一学部増設するごとに十万円が加算された。例
えば、五学部を擁していた早稲田大学の場合、供託金は九十万円に達したが、大正六年の
経常支出は三十六万円であったから、大学の認可を受けるためには年間経費の約三倍にも
のぼる膨大な費用が必要だったのである。そのため直ちに大学に昇格できる学校はほとん
どなかった。早稲田大学と慶応義塾大学はともに強力な同窓生組織を持っていたので、そ
の寄付によって供託金を集めることができて、大正九年に私学のトップをきって大学に昇
格した。ほかの専門学校はこの困難を克服するために大変な努力を払わなければならなか る。
Ⅳ 新しい教育理念を求めて
った。東洋大学もその一つであったが、結局大学に昇格できたのは昭和になってからであ
東洋大学は大正八年に大学昇格のための計画を発表した。学部を国学、漢学、仏学の三
科とし、費用は開設費二十五万円、供託金五十万円など合計二百五十万円を予定し、募金
によって集める計画であり、それは将来の大学経営を基金の果実で行うという理想的な構
想であった。募金活動は組織的に行われたが、 日本全体を覆っていた不況や学内の事件(大
正十二年)の影響によって、目標額をはるかに下回った。その後、中島徳蔵学長のもとで、
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