井上円了の教育理念

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- が産業の基盤を支え、日本の近代化を積極的に開拓していた。その意味では日本の近代化
の真の担い手は私立専門学校の出身者たちだったといえる。第一次世界大戦を経て資本主
義国家としてさらに発展すると、それだけこのような人材が要求され、政府は私立専門学
校の人材養成の役割に一定の評価を与えなければならなくなっていたのである。
過酷な設置条件
大学令第一条には「大学は国家に須要なる学術の理論および応用を教授し、ならびにそ
の蘊奥(うんのう)を攻究するをもって目的とし、兼ねて人格の陶冶および国家思想の涵養
に留意すべきものとす」とあって、帝国大学令のときと同様に、大学の役割を国家的に認
知したものとなっている。しかし、日本の大学はあくまでも帝国大学をモデルとしていた
ので、「不完全なる大学の安易に設立せらるるがごとき弊」 に陥らないようにという理由で、
さまざまな設置条件が定められた。それは私学にとっては過酷な条件であった。
その条件は予科の開設や設備・教員などについて帝国大学に準ずるものとして厳しく設
定されていたが、資金力の乏しい私立専門学校にとって特に重荷となったのは基本財産の
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