井上円了の教育理念

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- 中に提唱したところに彼の独自性が見られる。彼は、戦争中にはだれも芸術の必要を考え
ないだろうと前置きして、 「余は戦後の国民に対してことさらに美術美学の必要ありを思
う。そのわけは戦後は一時必ず残忍過酷の風行われ、喧嘩殴打殺人等が流行するに相違な 芸術の効果的活用を訴えた。
い。この弊を防ぐには今より美術を奨励させなければならぬ」と述べ、社会教育における
彼の柔軟な姿勢は、社会状況の変化への対応にもみられる。例えば、日本の近代化が進
んで、アメリカやアジア近隣諸国へ日本人が盛んに進出していくようになったとき、哲学 針を取り入れている。
館の学制を改革して、それぞれの国において積極的に活動できる人材を養成するという方
自由開発主義
以上のような井上円了の教育理念の基本的性質は、その独自性という点において、私立
学校の特性と表現するにふさわしい内容を持っていた。当時の私学は官学中心主義の教育
体制の中で、一面では帝国大学の補完的役割を担わされていた。しかし、その反面で、哲
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