井上円了の教育理念

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- 学館は「自由開発主義」の方針に基づいた独自の教育理念で運営され、官学とは違った人
間の教育を目指していた。それを具体的に示しているのは、哲学館事件以後に展開された
実力主義の教育であり、 「独立自活の精神を持つ純然たる私立学校」という言葉である。
退隠後、修身教会運動に専念していた井上円了が、再び学校へ戻るように要請されたこ
とがあった。大正七年、第一次世界大戦が終結した年で、社会情勢も学内事情も問題を抱 対して、いつになく厳粛な態度でこう答えた。
えていたので、大学に復帰してその再建を果たすように求められたのである。彼はそれに
「御説一応もっともなるが、現代政府の教育方針は依然官僚統一主義にて、自分の宿論
たる自由開発主義に相もとれるゆえ、老齢に加鞭して再びその任に当たるも、到底諸君の
Ⅲ 井上円了の教育理念
希望にそうあたわざるは必然なれば、先年隠退当時決心せしごとく、普通一般の通俗教育
に一身を捧げ、当初の志望は後世他の人によりて遂行を期するよりほかなし」
井上円了は、いずれ時代が変わったそのとき、哲学館創立以来の方針である自由開発主
義の教育が実現されることを期待し、すべてを未来に託したのである。
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