井上円了の教育理念

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- 私塾 の精神
井上円了が教育の対象とした民衆とは、すなわち「余資なく優暇なき」人々であり、そ
の教育活動の拠点は哲学館(学校教育)と哲学堂(社会教育)であった。これは唯一の大学だ 対置されるものであった。
った帝国大学が、少数の国家的エリートを養成する機関として位置づけられていたことに
哲学館は哲学専修の学校としてスタートしたが、決して哲学者を養成するところではな
かった。井上円了が重視したのは「哲学を学ぶこと」であり、 彼はそれを「思想錬磨の術」
と表現して、人間の精神活動を活性化することだとした。つまり、ものの見方や考え方の
基礎を身につけることに重点を置いた教育だったのである。
明治三十五年頃の教育界では、つぎのように問題点が指摘されていた。
「帝国大学においてすらも教師はただ生徒の脳髄になるべく多くの知識を注ぎ込まんと
し、生徒もまた試験に及第せんがためになるべく多くのことを暗記せんと勉めておるので
ある。ゆえに今日の教育は開発主義にあらずして注入主義であり、思考的でなくして器械
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