井上円了の教育理念

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- な経過を追って見てきたが、それらが近代日本の社会変動の中で形成され、発展してきた めてみよう。
ものであることが明らかとなった。以下、それを教育理念としていくつかの観点からまと
井上円了は当時のエリートの一人であったにもかかわらず、富や権力にはいっさい目を
向けず、またそうした力に頼ることもなく、民間の一教育者として生涯を終えた。一般民
衆の力に支えられて、まったく無資本のところから哲学館を起こし、幾多の困難を切り抜 だろうか。
けて教育事業を発展させた。その過程において、彼が教育に期待したものは何であったの
当時の日本の民衆は島国的で西洋や世界のことを知らず、迷信にとりつかれるなど、そ
の生活は科学的合理性に欠け、小社会の経験の枠内で生活する人々であった。政府はこの
ような民衆に対して改善の手をさしのべることなく、近代化を急ぐあまりに、民衆を放置
し、切り捨てる方針に終始していた。その中で、井上円了は民衆をしばしば愚民と慨嘆し
ながらも、民衆こそ自分にとっての教育対象としてとらえていた。そこには民衆に支えら
れて生活する寺に生まれたことも関係していたが、なによりも各地の民衆の中で生きる彼
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