井上円了の教育理念

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- 着したのは午後八時、休む間もなく三十分後には講演をはじめたが、その最中に脳溢血で
倒れ、六日午前二時四十分に息をひきとった。満六十一歳であった。
この前年、 卒業生たちが彼の還暦の祝賀会を開きたいと提案したところ、 彼は「もう四、
五年歩くと、日本全国津々浦々、残りなく歩き尽くすことになるから、そのときは全国漫
遊完了祝賀会というようなことでもやってもらおうかと思っている。そのときまで、お祝
いはお預けだ」と答えたという。最終的には全国巡講を完了することはできなかったが、 たのではないだろうか。
死の間際まで講演を続け、その身を社会教育に捧げ尽くしたことは、彼にとって本望だっ
彼は生前に遺書を作成していた。この中で「哲学堂は国家社会の恩に報ずるために経営
Ⅲ 井上円了の教育理念
せるものなれば、井上家の私有とせざること」として、かつて哲学館を社会の共有物とし
たのと同様に、民衆の力で建設された哲学堂公園を社会に還元した。 「私」を捨てて「公」
の利益を追求した井上円了の精神はここでも貫かれていた。
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