井上円了の教育理念

- ページ: 162
- われ、地元紙の報道によれば聴衆は三百名を超えていたという。
妖怪・迷信については人気があったようで、主催者や聴衆からの希望によることもあっ いる。
た。山形県村山市在住で、井上円了の講演を実際に聞いた人はつぎのように当時を語って
「私は小学五年生、円了先生のお話はめずらしかった。親たちが迷信深く、夕方はさび
しかった。暗くなるとこわかった。狐火、鬼火、人魂の話など、円了先生は絶対おっかな
いものでないと説かれた。それから大人たちのお茶飲み話でも、迷信らしいものがでると
円了先生のお話になった。私は子供心に気持ちが明るくなった。 」
迷信に限らず、彼は講演を通じて民衆の生活経験に合理性を与えたのである。
井上円了 の逝去
修身教会運動を精力的に展開していた井上円了は、日本国内ばかりではなく朝鮮や中国
へも巡講を重ねた。大正八年五月五日、彼は満州(現在の中国東北地方)の巡講に出発、各地
を回って、六月五日は大連で講演することになっていた。会場の西本願寺付属幼稚園に到
158
- ▲TOP