井上円了の教育理念

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- 威勢のよいラッパに迎えられたりした。
聴衆(彼は「公衆」と呼んでいた)は幅広く、老若男女を問わなかったし、彼も幼児や小学生
に向かっても語りかけるなど、対象を限定しなかった。天候によっては聴衆が集まらない
場合もあったが、逆に大相撲の地方巡業とぶつかっても会場が満員になることもあり、お を引き付けたことによるものでもあった。
おむね盛況だった。 これは官民を問わぬ主催者の協力があったこともあるが、 彼の話が人々
では、講演内容はどのようなものだったのだろうか。 『南船北馬集』による明治四十二
年度 から 大正 七年 度ま での 十年 間に わた る演題 が集 計さ れて いる (表
) 。修身教会運動の
趣旨からいって、精神修養や道徳についての詔勅・修身に関するものが多いのは当然であ
Ⅲ 井上円了の教育理念
る。しかし、 二位は妖怪 ・ 迷信に関する内容であって、 井上円了が「お化け博士」とか「妖
怪博士」と呼ばれていたことがよく表れているが、それに比べて、社会教育を重点として
いたために、哲学・宗教に関するものが少なくなっている。講演は一日に二回ないし三回
も行っていたので、テーマは聴衆に合わせて変えていたようで、例えば、大正五年八月十
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一日山形県酒田市の講演は、一回目が「精神修養」 、二回目が「妖怪談」という題目で行
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