井上円了の教育理念

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- なるが、そこには創立者(個人の場合も団体の場合もある)たちそれぞれの教育理念が反映して
いる。その理念が形成されるには、彼らが受けた教育や信じた宗教、あるいは育った環境
や社会状況、そして活動をともにした仲間たちといったようなさまざまな要因があった。
井上円了が哲学の重要性を認識し、哲学館を設立するに至った背景にもそうした要因があ
り、それらを知ることは東洋大学の原点を理解するために必要なことである。
西洋と の出会 い
明治十四年九月、井上円了は二十三歳で東京大学文学部哲学科に入学したが、これが彼
と哲学との出会いであった。長年求めてきた真理は儒教、仏教、キリスト教にはなく、た
だ一つ西欧で講究されてきた哲学のみにあった、と彼はのちに語っている。これは明治初
期の価値観の揺れ動いていたときに、自分の思想を模索し続けたあげく哲学へと到達した 悶した青春の姿でもあった。
彼の歩みを示している。それは何ひとつ確かなもののない時代に、確かなものを求めて煩
井上円了は明治維新の十年前に、真宗大谷派慈光寺(現在の新潟県長岡市浦)の長男として生
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