井上円了の教育理念

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- 彼は福沢よりもいっそう民衆の奥深くへ入り込んでいく自分の学問を「田学」と表現し
て い る。 そ れ は お よ そ つ ぎ の よ う な 意 味 で あ る 。 「紳士が田舎にいれば田紳(田舎紳士の略、
どろくさい紳士という意味) という。それならば学者が田舎にいれば田学といわれるべきである。
これに対して、都会に住み、位階を帯び、官に雇われている学者は官学と呼ぶべきである。
官学は高貴なものといえども、田学もまたいやしむべきものではない。鯛の刺身は貴人の
膳に上るけれども貧民の口には入らない。しかし、豆腐の田楽は貴人にも貧民にも通じ、
その調法なることは鯛と比べものにならない。田楽は田学に通じる。自分は田楽となり、
学問の料理を貴賤貧富を問わず供給することを本分とする」
官学に対する田学という考え方は、晩学のもの、貧困者、語学力のないものに教育の機
Ⅲ 井上円了の教育理念
会を開放するという、哲学館創立の精神と同じである。そのときから比べると時代も社会 に立ち返ったのであった。
条件も異なってはいたが、井上円了は学校教育から社会教育の場に身を移して、再び原点
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