井上円了の教育理念

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- 員を講堂に集めて、 井上円了は退隠のいきさつを説明した。また、 雑誌にも「退隠の理由」 という文を発表した。
哲学館大学は六月二十八日に「私立東洋大学」と改称し、七月四日には、井上円了との
契約にしたがって、私立東洋大学財団が組織された。こうして、大学は創立者井上円了の
個人経営の時代から、法人によって運営される時代に入ったのである。
退隠後の井上円了は、全力を修身教会に傾注し、東洋大学との関係は卒業式や同窓会な
どの行事に出席する程度となった。たとえ大学の運営上の問題を耳にしても、自分のほう
から口を差しはさむことはなかった。 ただし意見を求められれば即座に応じたというから、
決して無関心だったわけではない。契約によっていっさいを後継者にまかせた以上、干渉
Ⅲ 井上円了の教育理念
すべきでないというのが、近代人井上円了の姿勢であったが、それがあまりにも徹底して いたため、冷淡すぎるといわれることもあった。
「田学」
学校教育から手を引いた井上円了は、彼が重視していたもう一つの教育活動である社会
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