井上円了の教育理念

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- 当然、井上円了は経営問題に腐心しなければならなかったが、これが神経性疲労につな
がり、夏頃には半日仕事をすれば半日の休息が必要であり、また夜になると大変疲れを覚
えるというような状態となっていた。そこで、 哲学館の初期の目的であった「哲学の普及」
はほぼ達成されたと考えた彼は、以後は学校を解散して講習会組織に変更するという計画
を立てた。しかし、これを数人に相談してみたところ、賛成するものはいなかった。すで 近づいていたのである。
に哲学館大学は組織として動きはじめており、彼個人の意志で左右できる時代は終わりに
特典の喪失が学生数の減少の大きな原因ではあったが、井上円了は哲学館事件後に立て
た学校の基本方針である実力主義を貫くため、特典に頼るつもりはなかった。周囲のもの
が特典の再申請に触れると、 「認可取り消しのために災厄をこうむりたる出身者に対して 省に対する抵抗という意味もあった。
これをなすに忍びず」と強く主張した。これは中島徳蔵を復職させたことと同様に、文部
しかし、このような彼の方針は、講師や卒業生には十分理解されなかった。明治三十七
年十月二十一日には出身者有志が、二十二日には同窓会が、二十八日には全講師が、それ
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