井上円了の教育理念

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- 哲学館事件の影響
井上円了の遠大な教育構想のもとに出発した哲学館大学であったが、実際は経営上危機 は前年度に比べて半減した。在学生数の推移(表
的な状況に陥っていた。事件の影響は、明治三十八年四月の卒業生に現れ、教育部第一科
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)は、 事 件 が 社 会 問 題 化 し た 三 十 六 年
に大幅な減少がみられる。三十七年に哲学館大学となって一時増加した。しかし、その後
はふたたび減少に転じている。在学生数の減少には、この間の日露戦争の影響は少なくな
かったはずであるが、哲学館事件によって教員無試験検定の特典を失ったことや、事件を
めぐって後に生じた内部の問題が災していたのは明らかである。
Ⅲ 井上円了の教育理念
すでに記したように、哲学館事件の前年、すなわち三十五年
( 『文部省年報』 各年 度による)
表 6 在学生数 の推移
人数 288 207 322 228 141
の時点では、哲学館は今後大学となって飛躍的発展が期待され
る学校の一つに挙げられていた。しかし、哲学館事件という不
年度 明治35 36 37 38 39
透明な政治的、思想的、社会的事件の渦中に立たされたことに
よって、その発展計画は挫折を余儀なくされたのである。
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