井上円了の教育理念

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- 育する方法をとった。
修身教会は欧米の教会組織(監督教会と独立教会)にならって全国的な組織を張り巡らせる
が、各町村単位の地方組織はそれぞれの自治によって独立して運営され、哲学堂が本山と
はいうものの、それらを統轄はしないという方針であった。ただし、組織どうしの横のつ 院」の活用を考えていた。
ながりを確保するために、雑誌を発行する。また、会場はすでに全国的組織網をもつ「寺
明治三十六年九月に趣意書が発表され、翌年一月に井上円了は大学資金募集と修身教会
遊説をかねて山梨県下を巡回した。このころ世相には暗雲垂れ込めており、二月十日つい
に日本はロシアに対して宣戦布告し、日露戦争がはじまった。二月十一日、修身教会が結
成され、 哲学館内の修身教会雑誌発行所から『修身教会雑誌』第一号が発行された。以後、
雑誌は毎月発行され、井上円了の巡講は夏休み期間中に行われた。
井上円了はこの新しい教育事業を哲学館に付帯するものと位置づけていたが、のちに哲 なるのである。
学館大学を辞任してからは、残りの生涯のすべてをこの修身教会運動に捧げていくことに
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