井上円了の教育理念

- ページ: 145
- を祭っているからである。四聖の由来は、明治十八年にまでさかのぼり、その十月二十七
日に行われた第一回哲学祭で、この四人を東西の哲学の代表者(図 像が描かれた。
)と し て 祭 っ た の が
はじまりである。哲学祭は毎年のように行われ、二十六年には画家橋本雅邦によって四聖
明治三十六年十一月二十三日、哲学堂が建設されると、四聖像を堂内に納める祝典が催
された。当日、全校生は新宿から和田山まで徒歩で行き、井上円了の案内で敷地内を巡っ
た。その後、 学生が四聖に扮装して、 四聖それぞれの原語で対話するという劇を披露した。
修身教会が設立されると、哲学堂はその
東洋 図 2 四 聖 中 国 哲 学……孔 子 インド哲学……釈 迦 古 代 哲 学……ソクラテス 西洋 近 代 哲 学……カ ン ト
本山となった。現在の哲学堂公園には四聖
堂のほかにもいくつかの施設があるが、そ
Ⅲ 井上円了の教育理念
哲学
れらはのちに修身教会運動を展開していく
中で建設したものである。井上円了は、全
国巡講中に人々の頼みに応じて額や掛け軸
2
などの文字を書き、それによって受けた謝
141
- ▲TOP