井上円了の教育理念

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- いたので、二十年代に一部の私立学校が名乗っていた「大学校」というのは政府が認める
「大学」とは別のものであったが、私立学校が専門学校の認可を受けるにあたっては、正
式に「大学」という呼称を使用することを認めた。もっとも、大学と名乗ることを認めた
とはいっても、それは形だけのことで、すでに述べたように政府の姿勢に変化はなく、私 からもその進む道は依然として困難なものであった。
学に対しては「援助せずに統制する」ことを基本方針としていたので、専門学校となって
しかし、私立学校が専門学校になることは飛躍的なことであった。三十六年には公立三
校、私立十三校が、三十七年には公立一校、私立二十二校が認可を受け、三十八年の段階
では合計六十三校(実業専門学校を含む)が専門学校となったのである。
長い間大学昇格を計画していた井上円了は、学生たちの提案を受けるまでもなく、 「哲
Ⅱ 教育理念の発展
学館大学」において新しい教育方針を展開することを考えていた。
独立自活 の精神
(明治三十六年九月五日)と題 井上円了は哲学館の新しい教育方針を「広く同窓諸子に告ぐ」
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