井上円了の教育理念

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- 徴兵猶予の特典を与えたものの、ごく一部の学校に与えた程度にとどまったために、マス
コミが哲学館事件を文部省による「私学つぶし」と批難したのである。しかし、政府はし
だいに成長する私立学校の社会的存在を無視し続けることの困難さを知り、哲学館事件の
渦中にある明治三十六年三月、専門学校令を公布して、ついに私立学校に高等教育機関と なかった。
しての位置づけを与えたのである。とはいえ、政府の根本的な姿勢までが変化したのでは
専門学校の定義は「高等の学術技芸を教授する学校」となっていた。帝国大学令では大
学に「国家の須要に応ずる」ことや「学問研究を追究・発展させる」ことを期待していた
が、専門学校に対してはそのような役割を期待していなかった。専門学校令の意図を簡単
に示せば、専門学校とは、帝国大学に比べて修業年限が短く、もっぱら日本語で教授する、
高等教育制度の下位に位置する学校、ということになる。しかも、私立学校の設置がそれ 制を導入し、教育統制を進めた形となっていた。
までは届出制であったのに対して、専門学校の設置および廃止に際しては文部大臣の認可
一方で、それまで政府は帝国大学と同等規模の総合大学を「大学」とする立場をとって
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