井上円了の教育理念

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- 事件後の変化
八月五日、井上円了とインドから戻った河口慧海の帰朝歓迎会が開かれた。余興として
仮装行列が行われたが、隈本有尚を熊にみたてて縛り上げて引き回すというようなものも
あった。井上円了はこれを見ておおいに笑った。しかし、歓迎の辞で学生や卒業生が、三
月に公布された専門学校令によって東京専門学校が早稲田大学となったように、哲学館を
「哲学館大学」と改称すべきだと提案したときには、さすがに緊張した様子で、日ごろの
穏和な表情は消えていた。そのときすでに、 彼の心中には期するところがあったのである。
彼は外遊に旅立つ前に「将来の宗教」というテーマでインタビューを受けたが、ここで
旅行の目的について、私立学校の盛んな欧米で「私立学校の組織、事務の整理法等」を見
てくるつもりだといっている。また、 「自分の生活くらいならば苦しみませんが、どうも ければならないという考えを示した。
学校という大きな飯食うものがありますから」といって、学校の運営・経営の研究をしな
同時に、日本の種々の分野を発展させる方策について、「どうも今日のように、日本の社
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