井上円了の教育理念

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- この点から考えて、大久保利道参議斬殺事件の犯人島田一郎の暴力的破壊的行為は認め
られない。日本のように言論の自由および代議制度によって政治上の安寧福利の基礎が強
固な国では、暴力的非常手段を用いるものは大罪人である。この暴力を庇護し看過する社 なことである。
会は文明的でない。これらの学説は欧米の学界で共通するところであり、東洋人にも必要
最後に、自説に対する誤解を解き、正しく理解することを求めている。
また、 ミュアヘッドは事件の解決のために積極的に行動した。欧州旅行中の井上円了や、
中島徳蔵に書簡を送り、さらにロンドンの日本公使館を訪ねて、林公使に解決の労をとる
ように依頼し、文書を提出した。林は、認可取消は常識では理解できないことだが、この
件を国際事件として干渉するのは好ましくないと応じ、 井上円了と直接会うことを勧めた。
Ⅱ 教育理念の発展
日清戦争後の日本にとって、 ロシアの南進政策は重要な問題であった。 ロシアの朝鮮への
進出により、政府はそれまでの日露協調路線から対露強硬策に転じ、対決の姿勢を強めて
いたが、それを可能にしたのは明治三十五年に締結された 「日英同盟」 であった。林は哲学
館事件が国際問題となった場合に日英同盟に影響を与えることを懸念し、外務省に公文書
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