井上円了の教育理念

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- ❸ 哲学館事件の展開
中島徳蔵の問題提起
哲学館を辞任してからも、なんとか文部省の決定を覆そうと努力していた中島徳蔵は、
明治三十六年(一九〇三年)一月二十一日付の検定不合格通知を受けて、ついに事件の全貌
と自分の意見をマスコミに公表し、ことの是非を世に問う決心をした。
二十六日夜までかかって書き上げられた文章は「哲学館事件及余が弁解」と題され、『毎
日新聞』 『日本』 『時事新報』 『国民新聞』 『東京朝日新聞』 『読売新聞』 『万朝報』の各紙に
Ⅱ 教育理念の発展
送られた。内容は、⑴余が哲学館事件を世に問う理由、⑵哲学館認可取消事件の顚末、⑶ らなっていた。
処分、⑷倫理教授および教育行政上の問題、⑸高等倫理教授に関する余が弁解、の五章か
この最後で、彼は自分の弁解をつぎのように結論づけている。
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