井上円了の教育理念

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- 義が誕生し、また、明治三十二年には普通選挙期成同盟会が結成されるなど、民主主義的 動向も現れたからである。
また、個人主義の思想が出てきたのもこの時期であった。日本の社会制度の重要な特質
をなす家族制度は、厚い人情とうつくしい風俗を現す基盤として重要視されたが、それは
家父長の権威と家族員の犠牲とによってはじめて成り立つ点で矛盾を抱えていた。 そして、
明治後半期に入ると、急激な経済発展によって没落、離散、解体に追い込まれる「家」が
出てくるような状況となった。文学においても「家」の束縛から逃れ「個」の自由を求め
ることが描かれるようになり、個人主義の傾向はしだいに強くなっていく。日清戦争後の
新しい世代では、国家への無関心、忠誠心の希薄化、戦争に対する冷淡さなどの姿勢がみ する傾向が生じていたのである。
られるようになった。このようにして、一部の国民の意識には、単一の国家主義から離反
Ⅱ 教育理念の発展
一方、政府は日露戦争(明治三十七年)へ向けて着々と準備を進めており、国民に「皇国
臣民」であることを意識させ、国家思想の統一をはかる必要に迫られていた。そこで、国
民教育を通じて国家主義的風潮を強化しようとした。修身教科書をみると、明治二十七年
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