井上円了の教育理念

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- 見をも発表いたさず候」と決定した。
しかし、 哲学館は倫理学の講師を代えたものの、 教科書は依然としてミュアヘッドの『倫
理学』を使用していたので、学生たちはこれを妙なことだと感じた。
井上円了 の所感
一方、井上円了は十一月十九日に神戸から出航、十二月十三日にインドに到着し、事件
が公式のものとなったころは、哲学館卒業生の大宮孝潤、河口慧海と再会していた。彼が 記している。
事件の発生を知ったのは、ロンドンに到着した一月二十四日であった。彼はつぎのように
明治三十五年十二月三十日東京より飛報あり。曰く、十二月三十日官報をもって文部
Ⅱ 教育理念の発展
省より本館倫理科講師所用の教科書中に不都合の点ありとて、教員認可取消の命あり 云々。余これを聞き国字をもって所感を綴る。 苦にするな荒しの後に日和あり
今朝の雪畑を荒らすと思ふなよ 生い立つ麦の根固めとなる
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