井上円了の教育理念

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- 面を自分が担当しており、内容は教育勅語に基づいて、忠孝を基本とし、国体を第一とし
て、国民として皇室尊敬の心得を誤りなく教えていると、哲学館の基本方針を説明した。
当時、井上円了が「忠君愛国」を持論とし、教育勅語の普及につとめていることは、広く
世間の知るところであり、 中には「頑強な愛国主義者」と評するものもあったほどである。
彼は視学官の報告が教員免許の資格に影響しないよう、岡田に依頼した。
十一月十五日、井上円了はかねてより準備をしていた二度目の洋行のため、新橋から出
発した。今回の目的は、大学部開設に先立って外国の大学の実状を視察し、哲学館の将来
の方針を決定するのに役立てようというものであった。期間は半年の予定で、留守中の館
主代理には信頼していた中島を任命していた。彼がこの時点で旅行に出たということは、 とは、露ほども考えていなかったからにほかならない。
倫理学の試験をめぐる問題が哲学館事件と呼ばれるような大きな社会問題にまで発展する
中島徳蔵の釈明
十一月十七日、文部省から一通の照会状が届いた。倫理学の授業における動機と行為と
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