貴重な経験をくれた大学祭実行委員会
3年間苦楽を共にした仲間たちとの出会いと委員会での経験はかけがえのないものです。
あなたの4年間のdotsはなんですか?
大和ハウス工業株式会社 就職
建築やプロダクトデザインを学び、ゼミではまちづくりをデザインするパブリックデザインを学ぶ。3年間所属した大学祭実行委員会では局長、委員長を歴任。2年次にはコロナ禍の苦境を乗り越え、初のオンライン学祭を実現する。一時期、気分が落ち込んで単位を落とすが友人の助けもあり復活、見事に巻き返す。この春から大和ハウス工業株式会社にて、“コミュニティを大切にするまちづくり”を目指して第一歩を踏み出した。
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大学では建築やプロダクトデザインを学び、ゼミではまちづくりの研究をしていました。UR都市機構と連携した赤羽台キャンパス周辺の地域活性化プロジェクトや演習課題で母子家庭向けの集合住宅「母子ハウス」の設計に取り組むなど “人々の暮らし”を設計し、町全体のコミュニティを作るパブリックデザインを学びました。私は大学に入る前は、“社会人になって使える学業は経営学”だと漠然と思っていたので、受験の際に経営学部のある大学をいくつか調べていましたが、なぜか東洋大学だけは経営学部ではなくライフデザイン学部を調べていました。今思えばこれが運命の分かれ道だったと思います。受験の結果、残念ながら経営学部への受験がうまくいかずに途方に暮れていましたが、両親のアドバイスで“自分がやりたいことは何か”を再考した結果、小さいころから図工などの“ものづくり”が好きだったことを思い出し、“大学では好きなことを学ぼう”と東洋大学に進学することに決めました。この時の選択があるから、今の私があるのだと思います。
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高校生のころから大学祭を運営することにあこがれていたので、大学祭実行委員会「WELLB-FES実行委員会」に入りました。私は主に大学と学生の調整や備品管理などを行う「学生管理局」に所属し、2年次には局長に抜擢されました。しかしながら、ちょうど新型コロナウイルスの感染が拡大し始めた時期で、委員会内には学祭中止のあきらめムードが漂っていました。そこで私はYouTubeでのオンライン学祭を提案することにしました。私自身、1年生の時に対面での学祭を体験していたので、後輩に少しでも学祭の楽しさを味わってもらいたいと思ったからです。とはいえ動画撮影や編集を全くやったことがなかったので、周囲を巻き込んで全力で取り組みました。会議もオンラインですので、話が盛り上がりやすいようにゲームを考えたりと、円滑なコミュニケーションをとれるように努力を重ねた結果、無事オンライン学祭の実現にこぎつけることができました。学祭に限らずコミュニケーションは対面の方が相手の体温やつながりを感じられます。ただ、コロナ禍でしか経験できなかったことでもあり、新しい発見があった貴重な経験となりました。
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私は仕送りをもらっていなかったので、奨学金とバイトをやりくりしつつ、学祭実行委員会や軽音サークルにも所属するなど、なにかと忙しく充実した学生生活を送っていました。そんななか、コロナ禍の影響で心が少し不安定になった時期がありました。当時は世界中が不穏な空気に包まれ、大学はロックダウン状態で友人にも会えないなか、人と接する数少ない機会のバイト先でもスタッフやお客様がイライラして険悪な空気が流れていました。一人暮らしの部屋にほぼ閉じ込められている状態が続いた結果、12単位も落としてしまいました。そんな私を心配して、委員会の友人が頻繁に電話をくれたり、欠席した講義のノートを見せてくれたりとなにかと気遣ってくれたおかげで徐々に立ち直り、3年次には卒業単位数を取るまで巻き返すことができました。これまでの人生で最も辛い時期でしたが、人は一人では生きていけないということに気づかされ、自分も誰かを支えられるようになりたいと思うきっかけになりました。この経験から“どんなに落ち込むようなことがあっても後で巻き返すことができる、人生は終わりじゃない”という考えを持つことができたことで、先が見えずに不安になることがあっても、目の前にあることに集中して頑張れば道は拓けると思える大きな経験になりました。
3年間苦楽を共にした仲間たちとの出会いと委員会での経験はかけがえのないものです。
さまざまな人の意見を組み込むことで広い視点を得ました。写真は母子ハウスの設計課題の模型です。
大好きなロックバンド『UVERworld』の「迷わないことが恐れないことが間違わないことが強さでは無い」という言葉を胸に頑張っています。