知の旅を照らす対話録

Dialogue

知の旅を照らす対話録

Record 1

矢口 悦子
東洋大学 学長
森本 あんり
東京女子大学 学長

自らの幸福は、
自ら決める。
「知」の可能性を、
あなたに。

正解のない時代と言われる今、あなたは何を学びますか?
東京女子大学の森本学長と東洋大学の矢口学長が、自身の学びとの出会いから大学の価値、リベラルアーツの本質まで、多様に語り合いました。人生を変え、幸福を追求するための「知」や「アカデミア」との出会いを届ける特別対談です。

※所属・役職等は、2026年1月取材当時のものです。

前編

人生を変える!
「アカデミアとの出会い」

01

時代の熱気に希望を感じた
矢口先生。
「女性の自立と共同学習」
と出会う。

矢口
矢口

学生時代に人生に影響を与えたようなこと、と言えば私は2つあります。1つは、私が大学生だった時代で、「国際婦人年」が1975年で、「国連婦人の10年」が76年から85年まで……森本先生は、覚えていらっしゃいますか?

森本
森本

ちょっと待って、矢口先生のご入学は何年でいらっしゃいます?

矢口
矢口

私は76年ですね。

森本
森本

私が入学したのが75年だから……。

矢口
矢口

同世代ですね(笑)。「国連婦人の10年」の真っ只中で、女子大学に入学したこともあり、学内は「日本が男女平等の国になる!」「女性が活躍できる社会がやってくる!」という先輩たちの熱気で凄まじかった。すごくびっくりしました。授業ではない場で先輩たちが「今度こういう研究会やるけど参加しませんか?」とか「学習会に参加しない?」とか言ってくれていたんです。「あ、日本の社会は、女性たちがもう少し生きやすくなるかもしれない」と感じたことを覚えています。田舎から上京した私にとって、その熱気は非常に新鮮で希望に満ちたものでした。

森本
森本

あれ、どちらのご出身でしたっけ?

矢口
矢口

秋田です。森本先生はこのあたりのご出身でしたよね?

森本
森本

ええ、このあたりです。東洋大学の白山キャンパスのすぐそばの高校です。矢口先生が感じられた学生時代の熱気は、1歳違いの私も共有しています。それで、学生時代に感じた希望は、今、どのくらい実っているとお感じですか?

矢口
矢口

正直に申し上げれば、当時の期待がすべて実現したわけではありません。
現在の女性活躍も、経済的な必要性に迫られて言及されている側面が強いように感じます。本質的にみんなが目指していたことが、実現された方向ではないような気がしています。東京女子大学の学長を務めておられる森本先生としては、どう感じられますか。

森本
森本

日本が男女平等になるにはあと130年かかると言われていますが、130年も待ってられませんよ。私たちも、学生たちも、その子どもたちも。女子大学が不要になるほどに男女が平等になり、迷わず共学化を選べる社会へと変わること、それこそが私たちの目指す終着点です。ですが、その理想が現実となるまでは、女性が自らのリーダーシップを磨き社会を動かしていくための場として、女子大学は必要不可欠な存在です。教育の効果は、30年、40年経ってから現れるものですからね。女子大学を卒業された先生の今のお姿からしても、すぐに測れるものではないことがわかります。ところで、東洋大学とのつながりはどのように始まったのでしょうか?

矢口
矢口

私は公募を経て東洋大学の教員となりました。2つ目の出会いでもあるのですが、実は東洋大学の教員になってから、学生時代に学び卒論のテーマにもした「共同学習」との深い繋がりを知ることになります。第二次世界大戦後、教科書が全部墨塗りになり、政治が混乱する時代が続きましたが、戦地から戻ってきた若者や地元の人たちが、「教師と黒板は信じられない」って言っているんです。かっこよくないですか?

森本
森本

うーん、かっこいいですね。

矢口
矢口

学校がこうしなさいって教えたものが、ある日突然全部ひっくり返った訳です。教師や黒板を信じられないから、自分たちで語り合いながら、地域のことや課題を解決していこうという大運動を起こすんですよね。この運動を理論的に支えた教育学者・吉田昇先生が学科の担当教員(補導教官)でした。実は吉田先生は、吉田熊次という東京大学初の教育学の教授の息子で、さらに井上哲次郎(東洋大学創立者の井上円了の恩師であり、東洋大学の教授)の孫なんですよ。

森本
森本

それは不思議なご縁ですね!

矢口
矢口

学校という権威的な枠組みの外で、人々が対等に学び合う姿に、私は強烈に惹かれました。自分の認識がガラガラと崩れるような面白さ。それが私の学びの原点です。

02

実は大学嫌い?
森本先生が「リベラルアーツ」と出会う。

森本
森本

実を言うと、私はぜんぜん優等生ではありませんでした。高校時代は受験という制度に強く反発していまして、「大学なんて行くものか、自分のしたい勉強だけしてやる」と息巻いているような、少し厄介な生徒だったんです(笑)。そんな私に、恩師が「面白い大学があるから」と勧めてくれたのがICU(国際基督教大学)でした。

小学生の頃、画家である父がアトリエで絵を描く隣で、私はふと不思議に思ったんです。「どうして人間は、頭で考えた通りに手を動かせるんだろう?」と。父に尋ねると、最初は筋肉や腱の話をしてくれましたが、私が納得しないでいると、「それは『哲学』という学問で扱う問題だ」と教えてくれました。今思えば、心身問題(心と体の繋がり)への興味ですね。それが哲学との出会いでした。

矢口
矢口

哲学的な問いを、幼少期から持たれていたんですね。

森本
森本

そうですね。大学に入ると、批判的思考(クリティカル・シンキング)を学ぶ中で、デカルトの『方法序説』に出会います。デカルトは「すべてを疑え」と説きますが、一方でウィトゲンシュタインは「すべてを疑おうとする者は、疑いの入り口にすら辿り着けない」と述べています。哲学は疑いから始まります。すべてのものを疑ってごらんなさいって、デカルトが言うわけですよ。でもよく考えると、そんなことは無理なんですね。

たとえば、私たちが今座っている椅子や使っている言語をすべて疑ってしまったら、会話すら成立しなくなる。つまり、疑うためには、周りにあるたくさんのものを信じないといけないんだなっていうことがわかってくるんです。デカルトは「すべてを疑う前に、まず伝統や宗教といった仮住まいの家を用意せよ」とも説いています。高校時代、権威を疑うことこそが格好いいと思っていた自分が、いかに多くの「信じているもの」に支えられていたかに気づかされました。

矢口
矢口

疑うことの前提に、信じることがあるというのは、とても深い視点ですね。

森本
森本

宗教社会学者のピーター・バーガーが、ネパールで経験したエピソードも印象的です。村人たちが「今朝、ガルーダ(神話の鳥)が飛んでいた」と真剣に議論していた。そこで驚いたのは、彼らが「ガルーダがいるかいないか」ではなく、「なぜあの時間に飛んだのか」を議論していた点だと言うんです。私たちが合理的だと思っている世界は、実は非常に限定的なものかもしれません。常識の裂け目から覗く、目に見えない世界の豊かさ。そうした本当の人間らしさに触れたいという想いが、私の大学時代の学びの原動力でした。

Wisdom Pebbles

知恵の小石

聖なる鳥が
朝10時に空を飛んだ!?

03

森本先生の専門
「リベラルアーツ」に、
矢口先生も出会う。

森本
森本

リベラル教育(自由教育)には二つの側面があると考えています。一つは、偏見からの自由です。私たちが大人になる過程で無意識に身につけたバイアスを取り除き、正しく目を開いていくプロセス。もう一つは、より積極的な意味での自由、つまり自己制御(セルフコントロール)です。自分の欲求や本能に振り回されている状態は、本当の意味で自由とは言えません。自分で自分をコントロールできる人こそが、真の意味でリベラルな人だと思いますね。

矢口
矢口

なるほど。私がリベラリズムと出会ったのは、共同学習の研究で直面した挫折の経験がきっかけでした。私は長年、人々が集まって共に学ぶ場の研究を続けてきました。現場に足を運び、若者や女性たちの生き生きとした学びを目の当たりにしていました。しかし、いざそれを理論化しようとすると、どうしても、人は学びによってこう変わるといった薄っぺらな記述になってしまう。現実の豊かさを、論文として書けない自分の限界に、すごくショックを受けたんですね。

森本
森本

先生にそんなことを伺うとは、とても貴重なお話ですね。

矢口
矢口

その時に、自分を支えるもう一つの軸が欲しいと思ったんです。共同学習だけを見ているから書けないのではないかと。少し距離を取り、別の視点から捉えてみると、他国にも、学校ではない場所で人々が集い学んでいる事例があるはず。それはどのような理論や制度のもとで行われているのかを調べてみようと思い、目を向けたのがイギリスの成人教育の歴史でした。

修士課程で学ぶ中で、責任団体制度と呼ばれる仕組みを知りました。地域ごとに大学が責任を負って、労働者が自発的に組織した学習グループに教員を派遣する。さらに国がその活動に対して補助金を出すという制度です。各地域に設けられ、大学が全面的に責任を担う仕組みが、イギリスでは整えられていました。

森本
森本

先に人々が作って、後から国が補助するって、日本の国立大学の成り立ちとはだいぶ違いますね。今でいう「生涯教育」みたいなものですか?

矢口
矢口

それより少し前の段階です。19世紀末から20世紀前半にかけて展開し、制度としては1992年まで存続しました。その中で行われていたのがチュートリアルクラスです。たとえば、リチャード・ヘンリー・トーニィのような知識人が、荷馬車の労働者たちが20人くらい集まるところに出かけていって、毎週夜2時間勉強して、それを2年間とか続けるんですよ。毎週、毎週。それがすごく面白くて。

森本
森本

それは、ちゃんと国がお金を出すわけですね。

矢口
矢口

国が補助金を出すようになるのは1924年以降なんですけど、いずれにしても第二次世界大戦前の話なんです。

森本
森本

すごいですね。

矢口
矢口

第一次世界大戦後、やっぱり民衆の教育に大学は責任を持たなきゃいけない、しかもその内容は、単なる仕事の役に立つ訓練ではなく「リベラルアーツ(一般教養)」でなければならないという強い理念があったんですね。労働者階級なんだから、職業教育やスキルの習得で十分ではないかという議論もありました。でもそれに対して、「いや、違う。学びの本質はリベラルアーツにこそある」と主張し続けた人々がいたんです。この伝統はグレート・トラディションと呼ばれ、サッチャー政権以前まで維持されていました。その思想的背景にあったのが、リベラリズムだったんです。

森本
森本

なるほど。そこでリベラリズムと出会われたんですね。

矢口
矢口

19世紀に形成されてきた思想ですが、私はリチャード・ホッガートやレイモンド・ウィリアムズの定義を通して学びました。彼らはリベラリズムを「他者によって魂が抑圧されることからの自由」と表現しました。どのような状況にあっても、最も重要なのは、自らの魂が他者に蹂躙されていないこと、自分自身を自分でコントロールできることだという考え方です。それこそがリベラルであるという理解に至っています。

このリベラリズムという思想を手がかりに、共同学習を見直すことができるのではないかと考えました。そこには共通する理念があるのではないか。また、日本では制度的に十分整備されていない現状と、思想的背景との違いも浮かび上がるのではないか。こうして、共同学習とリベラリズムという二つを柱として考え続けるようになりました。

森本
森本

リベラルアーツは、古代ギリシアの自由市民教育のように、もともとはエリート教育から始まったものです。しかし20世紀に入り、エリート主義への反発とともに、教育の在り方が見直されていきます。職業教育で十分じゃないかという議論を経て、リベラルアーツは「自由人の教育」でなく「自由になるための教育」(全人教育)へと再定義されていきました。単なる知識の習得ではなく、真・善・美を統合して考えること。社会に出たときに、何が倫理的に正しいのか、何が美しいのかを判断できる軸を持つこと。そういったことが、これからの時代には求められてくるでしょう。

04

既存の定めに
とらわれない。
おふたりの「原動力」に迫る。

矢口
矢口

学生時代のかなり未熟だった私でも、学ぶということが生涯どこにでもあるということを知っていたんですよ。生まれた時から、周りの人はみんな学び続けていましたし。

森本
森本

矢口先生の周りの人たちが学び続けていたんですか?

矢口
矢口

私は農村で生まれて、生きていくために学びも、知恵も必要だったし、子どもだけでなくおじいちゃんやおばあちゃんだって、誰だっていろんなことを学んでいました。それを肌ではわかっていたわけです。

森本
森本

なるほど。

矢口
矢口

ですが、教育の大事な部分が、どうも学校に狭められている印象があります。先程取り上げた共同学習は、学校という括りでない場に若い人たちが集まって、対話中心で課題を自分たちで見つけて学びあっているわけですが、そのことに大学の授業で出会った、それが新鮮だったんです。既存の枠にとらわれない学びの形に、「あ、すごい!」と感じた時の面白さ。多分、それが原動力ですね。

森本
森本

偉い先生がいて学ぶ生徒たちが集まっているっていう上下関係じゃなく、お互いに学び合っているわけですよね。

矢口
矢口

はい。もう属性もバラバラで、地域に生きている人だったら誰でも参加できて、「わーわー」ってやっていて。そして「これが僕たちの共同学習だ!」と言って盛んに学んでいるわけです。

森本
森本

やっぱりかっこいいですね。

矢口
矢口

共同学習との出会いは、自分の持っている認識が「ガシャッ」と壊された経験でした。森本先生は、常識が壊されたといった経験はありますか?

森本
森本

現代人は、自分が合理的だと思っていますよね。神話や迷信、言い伝え、祟りは過去のことと捉えて、非常に知性明瞭な世界に生きていると思っている。でも、実はそうじゃない。東洋大学・創立者の井上円了は、まさにそこを突き詰めた方ですよね。そうした現代的知性の常識が通用しない「裂け目」があるということが面白かった。ちょっと覗いてみたいなと。むしろそこに、本当の人間らしさが覗いているんじゃないかなと思ったわけです。理性的な人間なんて、そんなに面白くないですよね(笑)。

矢口
矢口

確かに(笑)。後は、今思えばですけど、やはり女性であるということには、小さい頃から何をやっていてもどこか抵抗がありましたね。例えば、地域とか全体を担っていくホープとして、私は周りから捉えられていないとわかるわけです。

森本
森本

女の子だから?

矢口
矢口

「いずれ(結婚して)出ていくでしょ?」という風に見られていると言いますか。それはもう園児や小学生の頃から普通に感じていましたね。

森本
森本

そんなに小さいときからですか!じゃ「そうなのね」って納得している他の人もいたでしょうね。でも矢口先生は、そうじゃないんだ。何か違うと思っていらした。

矢口
矢口

そうですね。それがなんか嫌だったんです……。

森本
森本

私は先ほど申し上げた通り、「受験勉強なんて嫌だ!」って思っていて、既存の受験勉強じゃない勉強ができると聞いて「それなら受けてみようか」ってことで受けたわけで(笑)。矢口先生と似ていますが、私は反発心のかたまりみたいなもっとひねくれた人間でした。

矢口
矢口

こうした感情は、一見ネガティブに見えますが、実はネガティブじゃなくてポジティブな発想だと思います。「嫌だ」って強く感じるっていうことは、「この状況ではないもっといいあり方があるはずだ」と希望を抱けるわけですよね。次に動くための起爆剤になると思うんです。

Wisdom Pebbles

知恵の小石

「嫌だ」って
ポジティブな感情かも
森本
森本

それは矢口先生だからかも知れない(笑)。ですが、私も共感できます。

(後編へ続く)