井上円了の教育理念

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- ❶ 東洋大学設立 へ の道
東洋大学と東洋図書館
明治二十七年から二十八年にかけての日清戦争に勝利した日本は、極東最強の軍備を誇
り、欧米列強の外圧を受けながら、植民地を持って他国を抑圧する立場にもなった。そし
て、この戦争以後、日本の資本主義は大きく成長し、社会は変化していく。
井上円了はそれまで哲学館の将来像を「日本大学」 「日本主義の大学」と呼んでいたが、
明治二十九年(一八九六年)の新年の挨拶でこれを「東洋大学」と改めた。彼は日清戦争で
大勝した日本が、さらに東洋の覇者、世界の大強国となるには、学問の領域でも東洋大学
を設立して東洋学の全権を握らなければならないといっている。そして、日本人が西洋の に来て学ぶようにしたいと望んだ。
学問を学ぶために欧米に留学してきたように、今後は西洋で東洋の学問を志すものは日本
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