井上円了の教育理念

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- 浜を出発した。このとき、三十歳であった。太平洋横断には半月かかり、二十四日にサン
フランシスコに到着、さらに誕生から二十年目を迎えた大陸横断鉄道に乗ってアメリカ大
陸を横切り、ニューヨークからロンドンへ大西洋を渡った。
それから三か月間、スコットランドやイギリス南部を回った。この間に、オックスフォ
ード大学ではヨーロッパではじめて仏教学の研究を確立したサンスクリット学者のマック
ス・ミュラーに会い、ケンブリッジ大学ではカワー(インド学者) 、ウェード(中国研究者) 、シ たり、アジア協会でインド哲学の現況を尋ねたりした。
ーレー(歴史学者)といった人々と東洋哲学について話し合った。また大英博物館を見学し
十二月下旬に、 ロンドンからパリに渡った。パリにはちょうど西本願寺僧侶藤島了穏が、
哲学研究のために留学していた。藤島は『日本仏教史』を著して仏教哲学を欧米の学者に 帰国後の哲学館の事業について語り合った。
紹介した人物である。井上円了は藤島の隣に宿をとり、日本に哲学を普及させることや、
パリからローマ、ウィーンを経て、ベルリンへ行った。このころ、明治十七年から留学
していた井上哲次郎はベルリン大学で哲学を研究しながら、付属の東洋学校で教鞭をとっ
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