井上円了の教育理念

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- 齢者の岡本監輔は、井上円了が予備門で教えを受けた人だが、それでも四十八歳である。
また村上専精は仏教学の講師を勤めながら、同時に一学生として西洋哲学を学んでいた。
明治は「早熟の時代」だったともいわれるが、創立したばかりの哲学館の推進力となって
いたのは、彼らのみずみずしい知性とあふれる情熱であった。
さまざまな学生
創立当初は入学試験はなく、十六歳以上の男子が対象というだけで、特別な制限はなか
った。したがって、学生は十七、八歳の青年から四、五十歳の中年までと幅広く、中には
「子持ち」や「孫持ち」の学生もいたということである。定員は、はじめは五十名とされ
ていたが、入学希望者が多かったため、さらに追加して入学させている。 る。
十九歳で哲学館に入り、のち第四代学長となった境野哲は、当時の印象をこう記してい
「学校とは名前のみで、徳川時代の寺子屋式であって、湯島の寺の一室を借りて校舎に
あてていた。通学する学生の服装は一定ではなく、洋服あり、破ればかまあり、あるいは
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