井上円了の教育理念

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- 了は 「私立学校設置願」 を東京府知事に提出した。教員は彼と清沢満之であった。そして、 三日後には設立認可を受けた。
当時はただ届け出をするだけで、どのような種類の学校であっても自由に設立すること
が可能であった。官学中心主義の教育政策をとっていた政府は、私立学校を高等教育機関
としては認めず、制度に組み入れることもしなかったからである。したがって私立学校を
設立することは自由であったが、国からの援助はもとより、帝国大学に与えられたような
優遇措置もいっさいなかった。しかし、 制度に組み込まれないという点を裏返してみれば、
国からの制約を受けないということであり、創立者はそれぞれの教育理念に基づいて自由 の建学の精神を掲げて誕生していた。
Ⅰ 教育理念の形成過程
な学校づくりができたのである。そのため明治初期から多くの私立学校が、それぞれ独自
表1は、明治期に設立された私立学校で、戦後の新制大学まで続いている二十五校を、
設立年順に並べたものである。これによると、日本の近代教育の創始期である明治十年代
に続々と学校が誕生しているが、特に「五大法律学校」と称される専修大学、法政大学、
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明治大学、早稲田大学、中央大学がこの時期に創立されていて、それらは法律家の養成と
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