井上円了の教育理念

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- ❶ 戦前の大学教育
大学令の公布
井上円了の後を継いだ第二代学長前田慧雲(明治三十九~大正三年) 、 第三代学長大内青巒(大
正三~七年) の期間は、大きな変化もなく、堅実な運営方針で発展を続けた。大内青巒の時代
はちょうど第一次世界大戦と重なっており、社会は騒然としていたが、この間、大正五年
(一九一六年)には女子の入学が認められ、 六年には創立三十周年記念式典が盛大に行われた。
大正七年に第四代学長となった境野哲は、はじめての哲学館出身者の学長であった。井
上円了が前田との契約で「他日学長を辞するときは、出身者中の適任者をもって相続せし
むること」と求めていたことが、一代遅れて実現したわけである。
そして、この年の十二月に「大学令」が公布されたことによって、専門学校が名実とも
に「大学」に発展していく道が開かれたが、東洋大学にとっても「大学」になることは大
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