井上円了の教育理念

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- 取り上げない新聞は新聞にあらず」といわれたほど、 全国的な問題となっていたのである。
この事件がそれほどセンセーショナルな注目を浴びた原因の一つには、文部省が関係し
ていたということがある。というのは、このときすでに文部省は「教科書事件」を抱えて
おり、これも社会問題となっていたからである。教科書事件は、教科書の売り込み競争に
からんだ大規模な汚職事件であった。教科書は、明治初期には学校で自由に選択し使用す
ることができたが、明治十九年に教科書検定制度ができると、文部大臣の検定をパスした
ものの中から、各府県の教科書図書審査委員が選択するということになった。これによっ
て贈収賄が行われるようになり、教育界では絶えず問題となっていたが、たまたま電車の
遺失物の中から教科書会社の贈賄金と相手の住所氏名を記した手帳が発見されたことから
表面化し、三十五年十二月十七日に関係者の検挙が開始されたところであった。検挙者は
Ⅱ 教育理念の発展
県知事、県議会議長、府県視学官など二百名に及んだ。この中には哲学館事件の発端とな
った卒業試験で隈本有尚とともに臨監した隈本繁吉も含まれていた。
哲学館事件が発生したころ、この一大疑獄事件によって文部省は社会の厳しい批判にさ
らされ、文部大臣の問責にまで発展していた。したがって、そのような時期にまたも文部
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