ライフデザイン学部人間環境デザイン学科 川内美彦教授
国立高専在学中の19歳から車いすでの生活を送る川内美彦教授。その後、広島で自ら建築事務所を立ち上げましたが、アメリカ・カリフォルニア州の滞在やロン・メイス氏との出会いをきっかけに、ユニバーサル・デザインの日本第一人者として精力的に活動を始めました。
障害をもつ当事者として、またユニバーサル・デザインやアクセシビリティを専門とする学識者として、両方の立場に立つ川内教授。その目に、日本の「バリアフリー」はどのように映っているのでしょうか。
私はユニバーサル・デザインやアクセシビリティについての研究をしています。この領域は社会で起きていることと密接に関わっていて、今であれば、2020年の東京オリンピック・パラリンピックの会場や交通機関などのアクセシビリティが大きなテーマです。
やるべきことはたくさんありますが、現実はどんどん変わっていくため、一つのテーマをじっくり追い続けることはできないし、一人ではとても追い切れない。生涯をかけて取り組んでいかねばならないテーマだと思っています。
ユニバーサル・デザインを学ぶため、
アイマスクをつけてまちのどこに障害があるかを体験
授業では、学科の学びの柱でもあるユニバーサル・デザインを中心に教えています。ゼミの演習では、身近なユニバーサル・デザインを探しに、さまざまなところへ出かけます。必ず行くのは東京ディズニーランドです。園内のユニバーサル・デザインの取り組みについて話を伺ったり、実際に園内を見て回ったりします。その中で、例えば目の見えない人がどのようにショーを楽しむのか、車いすを使う人は乗り物をどうするのかなど、疑問に思ったことを調べます。
このように、学生たちには普段何気なく訪れる場所でも、「なぜこうなっているのか?」という視点を持ってほしいと思っています。世の中のことに疑問をもつ気持ちを呼び起こしていきたいですね。
35歳のころ、障害者派遣事業に参加し、1年間アメリカに滞在しました。その間に車いすを使用している建築家・デザイナーのロン(ロナルド)・メイス氏に会う機会があり、そこで彼が提唱するユニバーサル・デザインの考え方に出会ったのです。
日本に帰ってからアメリカとの大きな差を感じ、それから日本でユニバーサル・デザインの考え方を広める活動をするようになりました。
当時の日本では、車いすで入れるトイレも少なかったため、外出時は車いす用トイレの場所を考えながら経路を決めないといけない状況でした。しかし私が滞在したカリフォルニア州の町では、アクセシビリティの整備が進んでいて、車いすでどこへでも行けたのです。
この違いの原因は、日本とアメリカとの障害に対する意識の差にあります。アメリカでは1990年に「Americans with Disabilities Act(ADA,障害を持つアメリカ人に関する法)」が制定され、障害の有無に関わらず、社会参加は権利であり、それを阻害するものは罰せられることになりました。5年後、イギリスでも同様の考え方に基づく「Disability Discrimination act(DDA,障害者差別禁止法)」が制定されました。
日本では、障害のある人の社会参加は人びとの善意に任され、「チャリティ」と考えられがちです。しかし、アメリカやイギリスのように障害者が健常者と平等に働いたり生活したりできるようにするためには、設備の改修や新設などの費用も必要。「チャリティ」という意識で各々に任されている状態では、なかなか改善が進みません。日本では、まず障害者の権利に関する意識改革が必要となるでしょう。
東京オリンピック・パラリンピックが開催されれば、全世界からさまざまな人がやってきます。障害をもつ観客や選手のためにも、アクセシビリティを整えていかなければなりません。
日本には「高齢者、障害者等の移動等の円滑化の促進に関する法律(バリアフリー法)」がありますが、この法律で制定されているのは主に公共に開かれた建物へのアクセスについてです。また、民間のオフィスや工場、住居についてはバリアフリー化が義務付けられていない。これでは、障害者の平等な社会参加は難しいですよね。
スポーツ会場にしても、会場まで移動する経路はバリアフリーでも、会場内については何も定められていません。例えば、東京ドームで野球が行われるとき、車いす席は12席ほどなのが現状です。
オリンピック・パラリンピックで使用する建物は、国際パラリンピック委員会(IPC)が世界的なバリアフリー整備の基準として定めた「IPCアクセシビリティガイド」に則って整備されますが、それが一時的なものにならないようにしなければいけません。
2014年、日本は「障害者の権利に関する条約」を批准しました。その根源は、アメリカのADAやイギリスのDDAのように障害者の社会参加を「権利」の視点で考えることにあります。日本も、オリンピック・パラリンピックをきっかけとして、意識改革をしていく必要があると思っています。
学生の皆さんに伝えたいのは、機会はそこかしこにある、ということです。
社会はしっかりと人を見ていて、少し背伸びしないと届かないくらいのところへ、チャンスのきっかけとなるボールを投げてきます。「この人ならこのくらいできる」という高さに投げられたボールを背伸びしてキャッチし、それをチャンス(好機)とするかどうかは自分次第です。
私もアメリカに行く機会をつかみ、帰国後、上京して積極的に活動を行ってきたことが現在につながっています。
ぜひ、積極的に自分からチャンスをつかみ取っていってください。
2006年、横浜国立大学大学院工学府社会空間システム学科建築学コースを修了し、2008年から現職。博士(工学)。一級建築士。2000年、ユニバーサル・デザイン発展の功績として、ロン・メイス21世紀デザイン賞受賞。著書に『ユニバーサル・デザインの仕組みをつくる』(学芸出版、2007)、『バリア・フル・ニッポン』(現代書館、1996)など。日本建築学会、日本福祉のまちづくり学会所属。
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